SOUL INDEX

Column

2014年5月23日

“SOUL SURVEY & SOUL FREAK”から”BORDERLESS SOUL & SOUL OVER THE RACE”へ〜ディスコで開いたSOULの扉〜

モンスターゼロ

前回は日本において常にインディーズでありながらルーツ・ミュージックとして常に存在感を放って来たSOULについて語ってもらいました。今回はモンスターゼロ氏自身のソウルの歴史を伺いました。

ディスコで開いたSOULの扉

私がディスコデビューした1974年(昭和49年)当時はマイアミサウンド、フィラデルフィアサウンドの全盛時代。地元の悪い先輩に連れて行かれた新宿のディスコに行ったのが運のツキ!

以来、ちょくちょく行く様になり、曲やアーチストや踊りを覚えたのもさることながら曲自体のカッコよさにハマっていきました。

最初はどちらかと言うと、今でいうファンク系の方が先に好きになりましたね。

とにかくディスコ好き不良少年御用達だったクール & ザ・ギャング – “ファンキー・スタッフ”
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アルバムごとに好き嫌いが分かれる ウォー – “ミー&ベイビー・ブラザー”
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親分、あっしらのためにアルバムを出して下さってありがとうゴザンス!の JB’s – “パス・ザ・ピーズ”
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ニューヨークファンクなんて言葉があったかどうか? とにかくぶっといベースがブリブリの ファットバックバンド – “ドゥ・ザ・バスストップ
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と、紹介しているとどこまでも続いてしまうので(笑)ここからは興味のある方はリンクを辿ってご覧ください(笑)

紅一点の女性リードがナイスだった Brooklyn Truckin’ か Brother Truckin’ の
B T エキスプレス – “ピースパイプ”

とにかくエッチなジャケットに野太いファンクの
オハイオプレイヤーズ – “ファイアー”

スライに始まるファンクロックを昇華させた
ルーファス – “ダンス・ウィズ・ミー”

3人組から6人組に組織変更!既にベテランながら意地を見せてくれた
アイズレー・ブラザーズ – “ファイト・ザ・パワー”

恩師ドナルド・バードの期待に見事に答えた
ブラックバーズ  – “ウォーキン・イン・リズム”

ジャクソン5の前座もやった田舎バンドがモータウン&バンプで大ブレイク
コモドアーズ – “スリパリー”

メンバーに愛想を尽かされ一人さびしく
スライ・ストーン  – “ハイ・オン・ユー”

段々訳が分からなくなってきた
パーラメント – “ギヴ・アップ・ザ・ファンク”

イギリスから本場に殴り込み!平均的白人バンドこと
アヴェレイ ジ・ホワイト・バンド – “ピックアップ・ザ・ピーセズ”

STAXで一花、マーキュリーで不死鳥のごとく二花!
バーケイズ  – “シェイク・ユア・ランプ”

難解なジャズバンドからちょいミーハー路線への変更が大正解!
アース・ウィンド&ファイアー – “シャイニング・スター”

デビュー曲 ” Movin’ ” がいきなり全米1位ゲット!
ラス・コンストラクション – “ムーヴィン”

。。。。とまぁ書いているだけでウルウルしそうな70年代半ば頃のリアルタイムファンクバンド(当時の言い方はインストルメンタル&ヴォーカル・グループ、後にセルフコンテインド・バンド)

そんな連中の中で、一番の衝撃がクール&ザ・ギャングのリーダー、ロナルド・ベルの弟ケヴィン・ベルがリーダーだったバンド、ケイ・ジーズ(The Kay Geesでした。

アニキ達とソックリなパターンでしたが、デビューアルバム所収の名曲 ” Get Down ” のイントロ。。。。。

♪ Hey You   It’s Funky Groove    It’s Gonna Make You Move     Everybody Get Down   To The Funky Sound ♪

これでノックアウト!

Kay Gees – Get Down
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当 時、フジテレビで放映されていた「ソウルトレイン」でソウルトレインギャング達が踊っていたダンス(今でいうロックダンスの走り)に極めて近かった和製ソウルダンスに 「ファンキー・フルーツ」と言うのがありましたがそれで踊るにピッタリ!。。。。。但しあまりにファンキーで難しく私は辞退しましたが。。。。。

しかもこのデビューアルバムが全曲ナイスでした。アニキ達の名作 ”  Wild & Peaceful ” と双璧をなす出来栄え。

90年代以降今に至るまでこのアルバムは人気が高いそうですが頷けます。

Masterplan

Gang -101 と言う番号で1974年にリリース!
Gang Record は、アニキ達のレーベル De-Lite Record の弟分レーベル。
日本ではちょうど1年遅れの1975年の秋にリリースされるも、
イントロの部分

♪ Hey You   It’s Funky Groove    It’s Gonna Make You Move

Everybody Get Down   To The Funky Sound ♪がスッポリ抜けており拍子抜け!

大名盤!Kay Gees   Keep On Bumpin’ & Masterplan

こんな風にディスコで得た情報は、レアでリアルでフレッシュで自慢出来て。。。。レコードが手に入るとカセット!に録音し学校に持参して授業中に鳴らして踊って叱られて。。。。。!!これがあの頃の典型的なパターンでした(恥)

 

ディスコ以外のお店で知った「聴くSOUL」

そんな中で数少ない「ホンモノのSOULやR&B」を聴かせてくれるお店の存在を知りおっかなびっくり顔を出す様になりました。

場所は都内新宿区四谷三丁目と言うちょいとシブい場所。かつて四谷三丁目にはラジオ局の「文化放送」がありましたが、その斜向かいにあったそのお店の名前は「ライブ」と言いました。ディスコの様な踊る場所ではなく「ソウルスナック」と言う何とも曰く言い難い響きが屋号の前に付いていました。

学校帰り(ガクランでの入店OK!)にディスコ(新宿)に加えこちらの方に行くこともありましたが、絶対的な知識の欠如の前になかなか積極的に足が向かず頻度は少なかったですね。その代り、輸入盤がどこよりも早くこのお店に入荷し販売もしていたので行った際にはよく「エサ箱」をあさっていました。しかし当時の金額で2,500円はいかんとも高く1枚買うのに一苦労した記憶があります。当時は渋谷にあった、「ホンキートンク」か今でもおなじみの「ディスクユニオン新宿店」そして安くなら「数寄屋橋ハンターさん」か「新宿トガワレコード」でした。

このライブと言うソウルスナックで働いていた人の中に、日本のソウルバの首領(ドン)と言われる川畑さんがいらしたのは有名な話ですね。当時私は存じ上げず、またいらした時期に伺っていたかも微妙ですが。更にこのライブが数年後閉店し、六本木(外苑東通り沿い)の柴田薬局の3階にあの「ウィナーズレコード」としてリオープンされたのも有名な話!

lets groove

四谷三丁目ソウルスナック「ライブ」で初めてゲットしたアルバム。
” Father of Disco ” と言われたアーチー・ベル&ザ・ドレルズがフィリー詣をした1枚。この人達と言えば、” Tighten Up ” ですが。
” Dance Your Troubles Away ” なんてったって Side-Aの1曲目 ” Let’s Groove “。。。。アース・ウィンド&ファイアーではございません!
そして、このアルバム所収のバラード  ”  I Won’t Leave You Honey, Never ” を聴いてソウルバラードの素晴らしさに気付いた次第(笑)その直後同じフィラデルフィア系のヴォーカルグループ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの大ヒット ” Wake Up Everybody ” と、同じくCBS系のマンハッタンズ ” Kiss And Say Goodbye ” で100%ノックアウト!

finders keepers

ちなみに、ソウルスナック「ライブ」でのゲット 2枚目がコチラ!
1人減って3人組になりましたが力は落ちず。
名作 ” Finders Keepers ” by Soul Children

 

当時は確かこの様なお店があと2軒あったのではと記憶しています。1軒は渋谷区笹塚(と言うより方南町?)にあった「エクセロ」と言うお店。エクセロさんは下北沢に移転され今では、「しずおか屋」さんと言う屋号に変わられ美味しいおでんを出す店としても有名です。

そして、東京オリンピックの年から営業していた六本木防衛庁(今では古い!)脇にあった名店「ジョージ(George’s)」

George's

今は亡き六本木「ジョージ」
西麻布に移転し、新しいママさんが経営されていますね。
今年で開店から半世紀!

 

まだ在籍していた、テディ・ペンダーグラスの熱唱が光る名作 ” Wake Up Everybody ”
邦題:愛のめざめ
http://www.youtube.com/watch?v=2HhV3Slqtvw

サム・クックフォロワーでもあるジェラルド・アルストンの清々しいヴォーカルとイントロのウィンフレッド“ブルー”ラヴェットによるぞくぞくするベースが有名だった大ヒット” Kiss And Say Goodbye ” 邦題:涙の口づけ
http://www.youtube.com/watch?v=vbJtm5QpI78

 

ディスコからSOUL の灯が消える?!。。。源流への旅

 

閑話休題(笑)!

そんな1974~1976年(昭和49~51年)頃は先述の様にマイアミサウンド/フィリーが黄金期~円熟期に入っていましたが、折からのディスコブームでどちらもディスコ色を強くしないとヒットにつながらなくなってきます。同時にディスコブームにより、SOUL、FUNKの必要性以上に「踊るための音楽化」が優先されてしまうようになりました。アメリカで成功せず遠くヨーロッパはドイツで出した曲がディスコブームで大ヒットしたドナ・サマーやシルバー・コンベンション等、黒人ではあってもSOUL色は薄めな人やグループによる曲がじわじわとチャートを占めてきます。我が国でもドクター・” 筒美京平 ” ドラゴン&オリエンタル・エキスプレスなんてスゴい名前のバンドが「セクシー・バスストップ」なんてヒット曲が出ましたっけ!(後に、浅野ゆう子がカバー!)

funky bearou

セクシー・バスストップと共に和製ディスコソウルと言ったらコレ!
今でも人気あるようですね。ファンキービューローと言うジャマイカンと日本人のバンド!「ブギー・ウォーク」「ディスコ・ジャック」そして

「クラップ・ユア・ハンド」⇔  http://www.youtube.com/watch?v=MIWthsS83Wg

1976~77年あたりでした(by 日本ビクター)

 

なお、当時のディスコダンスやそれ以前のソウルダンス/ステップ等はまたの機会に記します。

いわゆる「ミュンヘンサウンド」と言う、後のユーロやキャンディポップ系のルーツと呼ばれる一連のディスコサウンドが幅を利かせるようになりその流れは77年の映画「サタデーナイト・フィーバー」で一気に昇華!Disco / SOULファンには暗黒の時期なんて当時は言ってましたが、中には今聴くと何気に良かったりするのもあったりでリアルタイムでは勘弁してほしかった曲がそうでもなかったりなんてことがあるものです。

Fever

コレコレ!このジャケット(爆)
「バカデー・ナイト・フィーバー」なんて言ってましたっけ(笑)
でも、レコ的にはビートルズの「アビー・ロード」の販売枚数を初めて抜いたレコードだそうですヨ。これも「今聴くとシリーズ」の1つ。イヴォンヌ・エリマン「イフ・アイ・キャント・ハヴ・ユー」なんて意外にナイス!

そんな頃と、今でもファンの多い「P-FUNK」の黄金期が同じ時期なのが皮肉な話!ぶっちゃけ当時、P-FUNKは本当に一部のコアなファンにしか認知されておらず「キワモノ&ゲテモノ」的な扱いに近かったはずです。パーラメント「ギヴ・アップ・ザ・ファンク」、「フラッシュライト」、ファンカデリック「この世はまったくグルーヴィ(One Nation Under A Groove)」、「ニー・ディープ」と言ったヒットチャート上位の曲は、P-FUNKではない?!なんて見方でした。(でも、クエイザーは東芝さんからアルバム出てましたが!)

mothership

個人的 P-Funk 史上 No.1 と思ってます!
パーラメント「マザーシップ・コネクション」

この時期にディスコからSOUL道に入った者は

①流行りの曲を追いかける(ディスコ系又は初期AOR)

②ロックンロール(フィフティーズ)へ逃げる

③引退する。。。。の3つの選択肢の中から自分の行く末を決断せねばなりませんでした(笑)。

私の場合、76年頃に日本のキングレコードから発売された「カメオ/パークウェイシリーズ」に出会ったことでより古いダンス(ツイスト等)に興味再燃し、映画「アメリカングラフィティ」のリバイバル上映からドゥワップ(バード)・グループに興味が湧き、並行してチャック・ベリーやリトル・リチャード、ファッツ・ドミノと言ったオリジネイターを再度聴き直すチャンスに巡り合った状況でした。70年代半ば時点で一気に50年代に飛びそこから60年代に戻る?みたいな音楽自分史だったと記憶しています。

エルヴィス・プレスリーが77年に亡くなり、50年代の雄姿をテレビ放送で観た衝撃!そこからサン・レコード~ロカビリー、ホワイト・ロックンロールを浴び、ブルースを学ぶと言う忙しい日々を高校3年生と言う原則大学受験をする者にとって最も重要な1年の大部分を送ってしまいました!従って個人的には、76中盤から77、78年頃のフィリー系ソウルやスィート系は手つかずにならざるを得ませんでした。今をときめく?ジョーンジズ、エボニーズのセカンド、クリーム・ド・ココアのファーストやトルー・リフレクションズあたりです。

gene vincentjerry lee lewiseddie cochran

いやいや、なかなか壮観です!プレスリーの同期生?と言った感じのホワイトR&R御三家?!
上から、ジーン・ヴィンセント、ジェリー・リー・ルイス、エディ・コクラン
実はこの御三方はみなさん、50年代R&Bやブルースのとりこだったんですね!プレスリー同様。。。。

ジーン・ヴィンセント。。。ビー・バップ・ア・ルーラ
ジェリー・リー・ルイス。。。火の玉ロック
エディ・コクラン。。。サマータイム・ブルース(後年、ザ・フーがカバー)
個人的にはエディさんと言ったら、ブルー・スエード・シューズのカバーに尽きますが。。。→ http://www.youtube.com/watch?v=tL9p1HbqEFc

そんな1976年の春先?、一冊の本が刊行されました。今は亡きソウル評論家の草分けと称された、桜井ユタカ先生著「ソウル&ブルース」のことです!たまたま地元の本屋さんで見かけ即ゲット!さぁそれからは、他に読まねばならない受験参考書など目もくれず一心不乱に読みふけました。先の、ファッツ・ドミノもこの本から得た知識で聴くに至ったくらい。ドゥワップコーラスグループもアメグラの再上映(最初は高校1年で拝観@スバル座!)に続き本書での桜井先生の余りに絶賛ぶりに半信半疑でしたが同じころにコロンビアレコードからドゥワップ系アルバムのリイシューが出たことから手に取り、耳にしました。アメグラ同様にフラミンゴスの名曲 ” I Only Have Eyes For You / 瞳は君ゆえに ” でノックアウト!

soul&blues

こちらがくだんの一冊。
副題が「キミをとりこにする魂の音楽」
最高です!

てな感じでこの頃は、1950年代~60年代半ばくらいのブラックミュージックを中心とした聴き方でした。名盤「ブラックミュージックの伝統(上下)」をゲットしたのもこの頃でした。このアルバムでブルースの凄さに身震いした記憶があります。

 

ディスコにSOUL が帰ってきた! 弟(FUNK)を連れて

その後なんとかかんとか一浪後に大学にはまるもディスコ=SOULではない世界となり、周りの友人は私の水泳能力の乏しさなどお構いなしにさっさとサーフボードを車に積んで、やれ湘南だの千葉だのと散り散りバラバラ。。。。これから何を楽しみに生きていこう?なぁ~んて悩んでいると先輩からディスコのお誘いが?!

「もう、つまんないから勘弁してくださいよぁ~」と言いつつも無理やり(またまた)連れて行かれると。。。。。。。

知らないとはいえ。。。じぇんじぇん曲が違うじゃないですかぁ?!!

今でも忘れません!その時(1979年初夏)鳴っていたのが、♪ I Just Wanna Be ♪と言う曲。。。。そーですね!!。。。Cameo クン、亀夫クンです!ハイ。

74年デビューの時はケイ・ジーズで、5年後のカムバック時はカメオで。。。どちらもFUNKでノックアウト!

さぁそれからがたいへん!一気にこのブランクを縮めるべくディスコ&レコ屋の往復作業が再開されます。

ざっくり言うと。。。。。

会ったとたんに一目ぼれ!の カメオ – “アイ・ジャスト・ウォナ・ビー”
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実力ナンバーワン レイクサイド  – “プル・マイ・ストリングス”
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まだいたのかよ?!バーケイズ – “ブギー・ボディ”
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(※同じくここからはリンクを辿ってください笑)

Chase Me が最高の
コン・ファンク・シャン – “チェイス・ミー”

ヘソ毛が相変わらずまぶしい?
チャカ・カーン  – “愛の手ごたえ”スンゴい邦題)

昔裏方今表の
レイディオ – “ホットスタッフ”

FUNK業界のアイドル化著しい(ブギー・ワンダーランドに絶句!?。。。笑)
EW&F – セプテンバー!

祝・成人式?!
マイケル・ジャクソン – “今夜はドントストップ”(Don’t Stop Till You Get Enough が今夜はドントストップかよ?!)

ブラス・コンストラクションはどーした?のランディ・ミューラー率いる
スカイ – “レッツ・ターン・イット・アウト”

お尻ッスでいいですか?(失礼笑)
OSIRIS – ゲイミン(Gamin’、Drift On It 凄すぎ!)

爆竹戦法(=Firecracker )はないだろぅ!
マス・プロダクション – ファイアークラッカー(爆竹戦法!)

Let’s Rock’N’Roll が「ファンキーパーティ(邦題)」になっちゃった、、、笑
アトランティック・スター – “ファンキーパーティ”

Disco + Jazz = Dazz でいいんですか、本当に?
ブリック – “エイント・ゴナ・ハート・ノーバディ”

遂に、鼻が象になっちゃった
パーラメント – “アゴニー・オブ・ディフィート”

スキッパー健在の、
ブーチー・コリンズ(ブーチーズ・ラバーバンド) – “ジャム・ファン”

パーラメントとの区別が付き難くなってきた
ファンカデリック – “ニー・ディープ”

厳しいご時世の中、就活が実った?
エモーションズ(EW&Fとの共演で再ブレイク) – “ベスト・オブ・マイ・ラヴ”

でも。。。。

どーしちゃったんですか?。。。オリジナル・ディスコ・マンなんてアルバム出して?と嘆いた、
ジェームス・ブラウン – “トゥ・ファンキー”

そして。。。。

あなたがたがお元気で本当に良かったです!!。。。。の
アイズレー・ブラザーズ – “イッツ・ア・ディスコナイト”

こぉ~んな感じでしたねぇ、今から35年前くらい前は!(笑)

そう、正に今で言う、ダンクラこと「ダンスクラシックス」の始まりの頃でした。

更に、この1979年と言う年は我が国に初めて!あのマーヴィン・ゲイ様が来日を果たされた年でもありました。私は行く機会がなかったのですが先輩方は目いっぱいオシャレをして拝観され、余りのカッコ良さにシビレまくったそうです。また、御大ジェームス・ブラウンも来日。確か、EW&Fも来たはずです、この年は。。。。。あっ、ドゥービー・ブラザーズも来たわ!

こうして、ディスコフロアーに黒人達が大挙して戻って来てくれたのであります。気の利いたディスコではドナ・サマーってドナタサマー?(寒)なんて言いながらこうした曲を鳴らしてくれるナイスなDJクンが必ずいたものです。

情報収集の広がりと充実する個人レコード店

「ディスコで鳴る音楽」とはいえ褐色の肌を持つアメリカ人のカムバックは、雑誌「ソウル・オン」も、町のレコ屋さんも活気付き、情報交換をしたものでした。要は、ソウル・オンに書かれている情報やコメントがディスコで役に立つ(従業員やとりわけSOUL 好きな客に対し)様になってきました。70年代初めからこういう状況はあるにはありましたがマニアックな域を出ずにいたのですが大手レコードメーカーやディスコを経営する側が、そこそこの規模の企業に代わってきたことで狭い世界が広くなり、排他的雰囲気が薄れてきたことも一因だと思います。

soul on

唯一無二のバイブルだった「ソウル オン」
1979年3月号「オーティス・クレイ来日記念号」でした。
この辺はソウルマニアからすると比較的新しい方?!(笑)

とにかくどこに行ってもBGMは、SOUL/FUNK 系ディスコサウンド、AOR、フュージョンの嵐と言う至福のひと時。SOUL/FUNK 系ディスコサウンドと言っても今では100%SOUK & FUNK と言っていいと思いますね。

事実、私の同世代で高校時代はフォーク&歌謡曲だったヤカラが大学デビューと共にディスコもデビュー、いつの世も遅咲き(後追いではなく)が始末に悪いのはよくある話(笑)もう必死になって踊りまくり聴きまくりには閉口したものでした。でもそんなヤカラ。。。。人達が全国ベースでとぉ~っても多かった事実が今でもダンクラ好きが日本ディスコ史の中で最大人口を占めているのでありこの現象はあと10年くらいは続くのでは?と思います。還暦~65歳になる今から10年後!たぶんではありますが我々は朝かお昼にダンクラやSOUL/R&Bを聴きながら縁側でお茶をススっていることでしょう!(涙)

とまぁこんな感じで私の場合、幹線道路がディスコなら、支線・脇道・裏道が雑誌やレコ屋、レコードのライナーノーツ、人ずての情報だったわけです。

この頃になると、レコ屋さん特にウィナーズさんに行くとよく ” Billboard Hot Soul Singles ” や ” Hot Soul LP ” のコピーを頂き、ディスコではリアルでダンクラやFUNKの洗礼を受け、ラジオ特にFENから新曲の情報をゲット、そして王道のSOUL系は「ソウル・オン」を貪る様に読み漁り月5枚のLPならSOUL王道が2枚、FUNKやダンクラ系SOULを3枚なんて勝手に決めて買っていました。ただし数寄屋橋にあった「ハンター」さんや新宿の「トガワレコード」さんあたりに行くと枚数は倍増しましたね(汗)。

ちなみに、この頃から90年代にかけてがSOUL/FUNK 系レコード店の黄金期だった気がします。リアルタイムからレア・グルーヴ、P-FUNK 再評価、スィートコーラス系ソウルの順番でレコードも高騰!円高&バブル景気もあったせいかどのお店も大混雑。

私も御他聞にもれずそこかしこに上陸しておりました。

中でも、1985年以降は今年開店満32年を迎える下北沢の「フラッシュディスクランチ」さん、ここの店長が同じ年齢と言うこともあり今なお30年近く(最近回数激減ながら)通っている状態です。

ジャンル的にも、SOUL(R&Bも同じ)が幹線道路で、支線・脇道、裏道が、R&R(ブラック)やブルース、ジャズ、R&R(ホワイト)やロカビリー、俗に言うオールディーズでした。ちなみに「俗に言うオールディーズ」とは主に白人や余り泥臭くない黒人達を中心にした50年代後半~ビートルズデビューまでの間に現れたポップスを指します。

前述のフラッシュディスクランチさんはオールジャンルの取り扱いゆえ、SOULはもとよりROCKもさることながら、EXOTIC系、BOSA NOVA 系まで網羅出来る理想的なお店です。

NEC_6046

余りに有名なフラッシュさんのレコ袋!
材質変われど基本的には不変且つ普遍!

 

70年代に青春期を過ごせた幸運!

今年でちょうど40年になるSOUL自分史ですが、この76~79、80年頃の音楽の聴き方や取り入れ方、接し方があったからこそ、2014年と言う時代でも(音源によらず)聴き続けられているのだと思います。確かに、SOULに偏りがちではありますが、ルーツとしてのSOULやカバー元としてのSOULの多さや凄さは年を経るごとに増しているように思えますし、グラミーゲットのダフトパンク ” Get Lucky ” やリードだったファラオ・ウィリアムスの ” Happy ” あたりを聴くともう笑っちゃうくらいに「昔々あるところに。。。。」状態なんで喜びもひとしおです!

過日、WOWOWで放送されたグラミー賞授賞式で、五冠王になったダフトパンクが壇上に上がった時、ファラオ・ウィリアムスが尊敬の念を込めてナイル・ロジャースを紹介し、これまた「みなさん、スモーキー・ロビンソンですよ!」とテロップにあったくらいに興奮気味に(もちろん尊敬と畏敬の念を込めて)紹介していた画面を記憶している人はいらっしゃると思います。

POPSに革命が起きたのが1960年代なら、POPSが完成されたのが1970年代と言われています。ジャンルを問わず過去のグラミー賞、とりわけ最優秀楽曲系はおおむねホッとする様な、どこかで聴いたことのある様な曲が選ばれている様な気がします。

結局、目指していなくても、意識しなくても、距離を置こうとしても巡り巡って、ここ(1970年代)に帰って来てしまうんでしょうか?!個人的には嬉しい限りですが。

ブルーノ・マースなんて正に権化!!

そういえば、ネオ・ディスコとかニュー・ディスコなんて言葉が出て来ているようです。

歴史は繰り返しますね。

いずれにせよ、1974年と言う年にSOULと出会えた幸運、今に至るまで多くの方々に教えて頂き導いて頂けた結果が今もこうして継続出来ている幸運に感謝の気持ちで一杯です。