SOUL INDEX

Column

2014年5月02日

“SOUL SURVEY & SOUL FREAK”から”BORDERLESS SOUL & SOUL OVER THE RACE”へ〜インディーズ音楽としてのSOUL〜

モンスターゼロ

70年代のディスコサウンドにまつわる話をまとめた「70’s ディスコ伝説」などの取材・執筆を行うなど、70年代をリアルに生き、肌で感じてきた”感覚”と現在も衰えることのないSOULへの探究心を持つモンスターゼロ氏。 同氏が感じた当時のSOULシーンと、現在のシーンにおける今後の展望について語って頂きました!

インディーズ音楽としてのSOUL

はじめまして!

タイトルにある、SOUL FREAK は以前私がプライベートで運営していたサイト名であり今も公私ともに多用している名称ですが、かつて伝説のDJ 糸居五郎さんMC のラジオ番組 「ソウルフリーク」への憧憬と「ソウル大好き」、「ソウル狂信者(汗)」の意味も込めています。

SOUL SURVEY は、「ソウルミュージックを調べ、情報を探す」という意味と、かつて FEN で放送していたラジオ番組 「SOUL SURVEY」 から来ています。

今私が注目しているSWEET SOUL RECORDSというレーベルが作っているフリーペーパーに冠されている 「BORDERLESS SOUL」上質音楽に国境も人種も関係ない。

素晴らしいコンセプトだと思います。 昔も今も、SOUL や R&B は「偉大なるインディーズ」と言えます。 だから、今も昔も良質の曲が数多く作られて来たのだと思います。

インディーズとして極めたのがモータウンなら、
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インディーズとして昇華し切れなかったのが、スタックスであり
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インディーズながらメジャーと上手に付き合えたのが、PIR (フィラデルフィア・インターナショナル・レコード)と言えるでしょうし
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メジャーに移籍したものの、SOULと言うものが分らない経営陣とファンとの狭間で苦労したのがジェームス・ブラウン!
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SOULの発信源”ディスコ”

SOUL iNDX の中では唯一と言っていい、1950年代生まれだと自負?しておりますが私が SOUL の世界に足を踏み入れた40年前は、全くと言っていいほど SOUL の情報がありませんでした。 当時、SOUL 系情報を得るためには。。。。

  • ①ディスコに行くか?
  • ②雑誌「ソウル オン」を拝読するか?
  • ③ソウルをメインBGMにしているお店(スナック。。。死語!・喫茶店)に行くか?

この程度でした。もちろん、レコードを買えば曲もライナーノーツもあるのでそれで知識を得ることは出来ましたが、生の情報、今流行っている曲やダンスとなれば最低でもアメリカで発売されてから半年経たないと日本盤の出なかったことを考えると新しい情報とは言えませんでした。

この中で最も手っ取り早いのが①のディスコ。当時(~1974年頃)はディスコと言うより「踊り場」という 言い方をしていた頃です。

ゴーゴー喫茶/ゴーゴークラブ

R&B スポット

踊り場

ディスコ

と名前も変わっていきました。 厳密に言えば、ゴーゴー喫茶/クラブと R&B スポットは違う様ですが、若者が音楽に合わせて踊り、お酒も飲むスタイルとしてはこういう変遷を辿ったそうです。

この頃、社交ダンス界の異端児にして重鎮と言われた中川 三郎氏が新宿や横浜に「中川 三郎ディスコティック」をオープンさせ若者が気楽に来れて踊れて飲める店の普及に努められました。

基本的にはエレキバンドが入って演奏に合わせて踊る形式であり、BGMもSOULに限らずでしたが、同じ頃東京の立川・福生等の米軍基地にいる黒人兵士達が当時リアルタイムで本場アメリカで流行していたソウルダンスをレコード(主に45s)と共に持ち込んで来ました。

当時はモータウン、スタックス/ヴォルト(メンフィスサウンド)、アトランティック系R&B、そして神様ジェームス・ブラウンの黄金期にして「四天王」時代。いまだ語り継がれる数多くの名曲がリアルタイムでダンスと共に輸入されてきたのです!

なんと羨ましい時代。

先の中川三郎ディスコティックが主にエレキバンドの演奏をBGMにしていたことに対し、黒人兵士達が持ち込むレコード(LP/45s)をBGMとしてレコードプレーヤーで聴かせて踊り、お酒も出すという後にディスコ、90年代以降のクラブの原型とも言えるお店が、新宿と渋谷に現れます。

渋谷は宮益坂を登り切ったところにある仁丹ビルの裏手で名前を「クレイジースポット」、新宿は、落語で有名な末広亭のある要町にあった「ジアザー」の2店。この2店を我が国ディスコの元祖(ブラックミュージックをメインBGMとする)と言うそうです。

ところが黒人兵士達の踊る本場のソウルダンスがあまりにカッコいいのと共に「なかなか真似できない!これじゃぁお客さんもつまらないかも?」と感じたお店のスタッフ(我々の先輩方)は日本人でも踊り易いダンス/ステップを考案し始めます。

今もなお続く「ステップダンス」がこの頃登場します。

 

ルーツ・ミュージックとしてのSOUL/R&B

BGM自体も四天王に交じって同じレーベルでも一発屋やマイナーレコード会社であっても曲そのものが 大ヒットしたものなど、玉石混交状態だったそうです(この辺は70年代も同じですね)。 R&BやSOUL が持つ「カッコよさ」や「不良っぽさ」はエレキバンドで踊るゴーゴー系とは一線を引かれ、「ゴーゴーなんてダサい!」と陰口を叩かれることもしばしばだったそう。

R&Bスポットには、芸能人(俳優やグループサウンズ)や文化人が通うようになり「大人っぽい場所」でもあったそうです。そういうところに行くことは怖くても楽しい、行けば自慢できる!と言う価値観は今も昔も同じかもしれません。

ただし、当時はベトナム戦争真っ只中。除隊や傷病が主な来日の理由だった兵隊さん達は、治れば帰国ならともかく再度戦線へ……なんてこともしばしば。いつ死ぬかもわからない非日常状態の中、店に来るのですからそれはもうハンパではなかったそうです。

カッコつけて彼女でも連れて行こうものなら。。。。。。。。。。くわばらくわばら

もっとも、この2店がオープンしたのはディスコ/SOUL デビューから更に8~9年前のこと。オープンの頃ワタクシはランドセルを背負ってメンコや缶蹴りに励み駄菓子屋に通い、週に一度のウルトラマンを心待ちにしていた頃でした!笑

「音楽」としてのSOUL/R&Bのスタイリッシュさ、「ファッション」としてのスタイリッシュさ、そして真似の出来ない「ダンス」のカッコ良さ。。。。

それはエレキバンドでの ゴーゴーとは価値観の違う世界でした。エレキバンドのプロとも言えるグループサウンズが歌謡曲チャートに出す楽曲ではなく、オリジナルアルバムの中でR&Bを取り上げるケースが非常に多かったのもこういうところが要因かも知れません。特に、グループの中に音楽面でセンスの高いメンバーのいるバンドなどでは顕著でした。

ところが、グループサウンズも数年でブームは去ってしまいます。時あたかもビートルズの全盛時代でもありハードロックが誕生したり、フォークロックやソフトロックが ヒットチャートを賑わしていた60年代半ばから後半、黒人の歌う R&B や SOUL はまだ「ルーツ・ミュージック」としての認知度もなく、ビートルズやハードロックのバンド達が ブルースやブラック・ロックンロールを自身のルーツにしている事実が周知のものではなかったことなどもあり、「陽の目を見る機会」と言うものがとても少ない状況でした。

またせっかく良いSOULを作っても、白人が横から出てきて「パクッ」と咥えていずこかへ!なんていうことがこの頃も残っており、1940年代の昔から黒人が作った良い楽曲を白人がマネをし、著作権もあるかないか分からない様ないい加減な状態でカバーしていたのが事実でした。

例えば、アトランティック系ソウルの名曲「ダンス天国(Land Of 1000 Dances)」

この曲は、クリス・ケナーと言う人がアトランティックレコードからリリースしたどちらかと言えばほのぼの系なR&Bソングでしたが、この曲をご存じの様な「荒々しいダンスナンバー」に昇華させたのが、かのウィルソン・ピケットでこちらもアトランティック系。

しかし、ちまたで有名な方はイギリスの兄弟グループ ウォーカー・ブラザーズのバージョンでした。こちらはラジオでもテレビでも鳴ってましたし日本人アーチストがカバーするのもこっちのバージョンでした。なぜなら。。。。白人バージョンの方がカバーし易かったからです。

 

当時のゴーゴークラブの模様が観れる貴重な映像
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ソウルフル!ウィルソン・ピケットのダンス天国(SOUL TO SOUL から)
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ちまたで一番知られていたウォーカー・ブラザーズのダンス天国
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実は、これが一番カッコいい?

リトル・リチャードのダンス天国
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そして、この「ダンス天国」をBGMで当時から今でも踊っているソウルダンス「ファンキーブロードウェイ」の教則映像を収録したDVDコンテンツがコチラ

Nick DVD-Bl

結局、SOUL/R&Bは一部のアングラ的部分で「知る人ぞ知る」存在のまま、他ジャンルに押されよりアングラへと埋もれてしまったのがこの頃でした。 単純に言うとオーティス・レディングが事故死し、” Dock Of The Bay ” が日本でもヒットした以降、70年代初頭くらいまではほぼ冬眠状態だったそうです。

 

激動の時代

この60年代後半から70年代初頭と言うのは、音楽シーンでは本当に多くのことが起きた時期でした。 ざっくり挙げただけでも。。。。。。。。。。

○ウッドストック開催
○ビートルズ解散
○ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン死去
○モータウンが本拠地を西海岸に移転
○スタックスがアトランティックレコード配給から外れる
○ローリングストーンズ、アトランティックレコードと契約
○ジェームス・ブラウン、メジャーのポリドールへ移籍
○フィラデルフィアインターナショナルレコードがメジャーCBSと契約
○エルヴィス・プレスリーが歌手活動再開
○50年代のR&R、Do Wopブーム再燃
○シンガーソングライターブーム到来
○ニューソウルブーム到来。。。
○マーヴィン・ゲイ   ” What’s Going On ” 大ヒット!
○「黒いジャガー(Shaft)」に始まるブラックシネマ(黒人映画)ブーム
○ファンカデリックがレコードデビュー!
○ビルボードマガジンが、R&Bチャートから SOUL チャートへ名称変更

 

こう見ると、50年代の懐かしさや単純さ、不安のない時代への回帰や憧憬が起こっています。当時のアメリカの世情にリンクしていますね。

SOUL/R&B の世界でもいろいろと起きています。60年代を駆け抜けた人達の大きなターニングポイント。この時期を短期間で駆け抜け「死」と言う行為をゴールとした人。満を持してかどうかはともかく50年代の栄光を今再びよみがえらせた人など。。。。

こうしたエポックメイキング的なことが次々と起こったこの頃、60年代に生まれた革命的な数々の音楽がクロスオーバーし始めます。ロックっぽいSOUL や、SOUL っぽいロック、フォークっぽいSOUL 等が数多く生まれます。

それまではマイノリティによるマイノリティな音楽と思われがちだったSOUL がロックやフォークの力を借りて少しずつではありましたがメジャーなステージに顔を出せるようになりました。
※SOULとジャズは60年代からすでに親戚付き合いをしていましたが(今で言う、SOUL JAZZ)

その結果が後にクロスオーバーやフュージョンと呼ばれるジャンル形成に繋がり、かつてのスタジオミュージシャンが前面に出る作品が多く作られるようになりました。彼らをバックにヴォーカリストもジャンルをクロスオーバーさせた楽曲を歌うことで白人も含めたマーケット開拓~ヒットに繋げていきます。

同時に、黒人マーケットを対象とした「黒人らしさ/臭さ」を残した重厚でビートのきいた演奏/歌も大活躍!

後にレア・グルーヴと言われる名曲の元ネタとなり得たのでした。。。。FUNK!

 

映画”Shaft”

一般的に、70年代に入りSOUL と言うより「アメリカ黒人音楽(BLACK POPS)」が再び陽の目を見たのはこの映画のヒットからでしょう。
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当時の邦題は、「黒いジャガー」

原題は、” Shaft ”

主人公の私立探偵 ジョン・シャフトのセカンドネームです。 音楽担当をSTAX のアイザック・ヘイズが行い、映画以上の大ヒットを記録しました。 後年、サミュエル・L・ジャクソン主演でリメイクされましたが主題歌は同じでしたね!(多少アレンジされてましたが)

映画を観た方はお分かりかと思いますが、厳密に言えば映画でのバージョンとサントラ盤では多少違います。サントラ盤の方が洗練されていてカッコよくソウルファン以外でも好きになる感じなのに対し、映画で使用されたバージョンの方が何となく重い雰囲気で田舎臭い感じに聴こえるのはワタシだけ?

今でこそ、「スーパーフライ」や「110番街交差点」あたりもメジャーなブラックスプロイテーションムービー(当時は、単純にブラックシネマと言われていました)などと言われていますが、新鮮さや痛快さでは「黒いジャガー」の方でした。「110番街~」はアンソニー・クインと言う名優が出ていましたがインパクトは弱く「スーパーフライ」に至っては映画と音楽(サントラ)が別々に一人歩きしていたイメージです。

先輩方に伺いましたがこれらの映画以上にリアルでインパクトのあったのは、「ワッツタックス!!」だったそうです。また今ではもう1つの名作「スィート・スィートバックス・バッダス・ソング」も、90年代に入っての再評価で当時は100%マイナーあるいは誰も知らないレベルの作品だったのです。

次回はSOULの限られた情報源であった”ディスコ”からどのような音楽に触れていったのかより詳細に語って頂く予定です。ご期待ください!